新参者II。

For HARUMA。

求めるところは自分の心にしかない。そして芦原妃名子先生。

 

 

 

 

求めるところは

 自分のこころにしかない。

 

 

 

 

これは、

三浦春馬の作品『ふれる』での一文。

 

 

ある方が仰ったこの言葉が

とても印象に残ったと言う春馬くん。

 

 

 

この文には、

いくつかの意味が込められていると

捉えている私だが、、

 

 

 

求めるところは

自分のこころにしかない。 

 

これは、、

『ふれる』において、

春馬くんが出した、

答えの一つだと感じている。

 

 

 

『ふれる』については、

次投稿であらためて、、、。

 

 

 

 

 

 

そして、

この言葉に近いものがあったことを

思い出す。

 

 

 

 

 

 

彼女は知っているのよ、、

自分を助ける最良の人は自分だって。

 

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🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀

 

 

 

調査結果、発表になりましたね。

www.ntv.co.jp

 

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⚫︎報告書概要

91ページからなる報告書を

概要化したもの。

 

⚫︎報告書

 

⚫︎別紙1

時系列的に出来事を纏めたもの。

 

⚫︎別紙2

日テレ、ドラマ制作に携る関係者を

対象としたアンケート調査。

 

⚫︎別紙3

有識者からのコメント。

漫画家、脚本家、プロデューサー。

 

 

 

別紙2と3は、

関係者の意見となっており、

 

私自身としても

賛同出来る意見もあれば、

そうでない意見もあった。

 

様々な意見と言う事で、

日テレとしての意見ではない。

 

配慮にかける意見は、

出すべきではなない、、

と言った見解もあるようだが、

私的には、

やっぱりそう言う人もいるんだな、

と知ることが出来て、

良かったかな、、と感じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、

芦原妃名子先生の事を投稿しました。

ameblo.jp

 

今回、

この調査結果につき、

感じた事を、

少し残したいと思います。

 

 

91ページの全容は網羅出来ないので、

かいつまんだ投稿になります。

 

出来ましたら、報告書を

皆さんも目を通して感じて頂けたらと、、

 

 

 

 

この調査報告書の評価につき、

様々な意見が、

あるのだろうとは思いますが、

 

世の中、

何もしない、何も出さない、

そういった事がある事に比べれば

遥かにマシと言える。

 

 

これが全てなのか、

忖度はないのか、

その辺りはわからないし、

また良し悪しは別として、

 

時系に沿って

何があったか調査確認し

公開できる範囲の事は

書かれているのかなとは思う。

 

 

結果的に、

どの様な事柄があったのか

と言う事については、

想像していた様な範囲と

そうかけ離れたものでは

なかったと言う印象だ。

 

 

 

 

 

ただね、、

 

芦原先生不在故か、

芦原先生が不利な様には感じる、、

 

 

 

 

芦原先生は『難しい人』

と言う表記が何度か出てくるが、

 

 

以前の投稿でも記した様に、

思慮深い人、感受性豊かな人、

人間の心の機微に敏感な人、

優しく人、

そんな人が、『気難しい人』と

言われているのではないだろうか。

 

 

 

 

報告書を読んでみたけど、

私の感じていた事に変わりはない。

 

 

 

認識齟齬、

ミスコミュニケーション、

時間不足、

 

そこに問題があったのは

そうでしょう。

 

 

そもそも

日テレと小学館の仕切りが

悪すぎたと言う事なのに、

 

なぜ、

 

芦原先生vs脚本家

といったイメージになってしまい、

そして、

結果として日テレも小学館

それを放置したのか、、

 

 

脚本家さんともし友人の

関係であったなら、

同情し慰めもしただろうけど、

残念ながら、

やはりあのsnsが、

事柄をさらに複雑にしてしまった

様に感じる。

 

 

 

言わなくてもいい事を

言わないでいられることが

goodコミュニケーション、、

ある方がそう言っていた、、

本当にその通りではあるが、

それは、なかなか難しい。

 

 

 

そして、

もし、、

もう少し良好な、

コミュニケーションが取れていたら、

芦原先生が居なくなる事は

防げていたかも知れないけど、、

 

それでも、

スムーズに制作が出来たかについては

懐疑的だ。

 

 

 

 

以前にも記したけど、、、

 

思慮深く、

人の心のヒダを繊細に捉え、

天才と言える人間が表現するものを、

いったいどれだけの人間が、

正しく理解出来るのだろうか。

 

ましてや、

それをアレンジして

原作同等以上のモノに持っていく、

と言う事は、

相当至難の技になる、、

 

 

 

 

例え、

goodコミュニケーションが

あったとしても、

 

報告書にある言葉を借りれば

芦原先生からの

厳しい指摘がなくなる、

と言う風にはならなかっただろうと。

 

 

 

 

人物像の表現の仕方につき

芦原先生より、制作サイドに

修正の要望があった、、

 

この人は、

こう言う言葉は言わないとか、

こう言う事はしないとか、

そう言う人じゃないのよ、、って

事だと思うのだけど、、

 

 

それを受け、

制作サイドが、

キャラクター表の様なモノが

欲しいと芦原先生サイドにお願いしたが

出てこなかったとある。

 

 

それは、そうだろうな、と思う。

 

優しいが気難しいところもあり、

犬より猫が好き、、

 

書けと言われたら、

そんんな風にしかならない。

 

 

それ以上の深い部分は、

書けないから漫画の中で表現している

わけだよね、、

 

もう、作品をよく読んで、

わかって欲しい、、

そうとしか、

言いようがないのではないだろうか、

 

 

芦原先生に

しっかりと

ついていける人がいなかった、、?

 

 

 

 

 

報告書には、

セクシー田中さんに感銘を受け、

この企画を立案をした、とそうあった。

 

 

人気にあやかろうと言う動機ではなく、

感銘あっての原作映像化は

とても重要な事ではあるが、、

 

 

残念ながら、私達が、

芦原先生の作品に

感銘、感動をすることが出来ても

芦原先生の思いを正確に理解出来るかは

また別問題だ。

 

 

 

結局は、

セクシー田中さんに感動してはいても、

芦原先生の思いを、

ドストライクに同じ感情で、

受け止められているかどうかは

わからないと言う事だ。

 

それぞれの人に、

それぞれの感動の仕方がある、、

 

 

 

 

 

三浦春馬の『ふれる』を読み、

わたしは、

彼らしい素晴らしい作品だと

感じるけれど、、

ファンであっても

そうは思わない人もいるらしい。

 

 

皆が同じ受け止め方をするわけではない。

 

 

 

発信者が、

誠実に一所懸命に尽くしたところで

伝わらない時には伝わらないし、

伝わらない人には伝わらない。

 

 

 

だから、、

やっぱり、

 

 

求めるところは

自分のこころにしかない。

 

 

と言う事になるのだろう。

 

 

 

 

 

 

担当プロデューサーが、

比較的若い方だったそうだ。

機会を与えると言う事で。

 

 

 

芦原先生から修正の指摘を受けたが、

既に、脚本とおりでの

撮影の手配準備が済んだ後で

準備のし直しが厳しいと判断した為、

撮影済み、、と

芦原先生にウソをついてしまったそう。

 

思った様な脚本が上がってこない

状況の中、ウソがあり、

ますます信頼関係を損ねていった、と。

 

 

 

プロ意識高く仕事をする人間に

挟まれ、

様々な対応を迫られる

若いプロデューサーには、

さばききれないものも

あったのかもしれません。

 

フォロー体制が出来ていなかった事は

日テレ側も認めている。

 

 

綺麗ごとと捉えられるが、

一応、

原因を究明し、追求ではなくね、

反省し以降の対策を練る、

そういったカタチにはなっている。

 

 

綺麗ごとで終わりにならない事を

心より願う。

 

 

 

 

 

芦原先生も春馬くんもいない。

本当に残念すぎる、、。

 

 

 

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ふれる、、より。