新参者II。

For HARUMA。

奈良新聞と天外者。

 

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読まれた方も、

沢山いらっしゃるとは思いますが、

 

 

以前も、

メッセージ特設サイトを

立ち上げて下さった

奈良新聞さんが、 

「天外者」を

取り上げて下さっています。

 

 

 

投稿して下さった皆さんの記事を、

デジタルサイトで、

読ませて頂き、、

やはり感慨深いものを感じます。

 

 

春馬くんの映画だから、、

という事だけではなく、

 

「今だけ、金だけ、自分だけ」な世の中に、

繰り返し上映することで、

何か、問題提起をし続けていく、、

 

そんな意思を感じます。

 

 

公的なものである教科書においても、

平たく言えば“悪者”とされていた

五代友厚の評価が、 

変わろうとしているのは、

その一歩なのかもしれませんね。

 

 

 

 

記事の中に、

印象に残る言葉達が

たくさんありました。

 

三浦春馬を重ねすぎ、、

と言われそうですが、、

やはり、、

読み進めていくうちに、

どうしても

春馬くんが重なります。

 

 

 

一部抜粋になりますが、

 

 

 

廣田稔さん五代友厚プロジェクト代表 

映画「天外者」製作総指揮 

廣田 稔氏

なぜ五代らは選択的に抑圧、黙秘、隠蔽されるのか、一方なぜ東の渋沢栄一は壱万円札に印刷されてきたのか、、、、

 

現代においても、

選択的な抑圧、黙秘隠蔽はありますよね。

そしてそれは何故なのか、、

例え何も出来なくとも、

疑問を持ち、知ろうとする姿勢は

大事だと感じます。

 

 

 

 

大阪府立大学理事・講師 正木 裕氏

 五代は、金銀分析所や鉱山業で積んだ巨万の富で財閥を築くことも、大久保らの勧めで大蔵卿に就任し、明治政府の要人として名を残すこともできた。しかし、官職には就かず、富も民業育成・大阪の更生に費やし、明治十八年に百万円の負債を残し五十一歳で没した、、

 

そう、私腹を肥やす事も役得な立場にも

なれたはず。。

公的立場を退いたあと、何度もあった

官職への誘いを断ったとありました。

やはり、男に二言はない、、と言った

強く揺るぎない目的意識と志を

持っていた五代友厚ですね。

 

 

 

 

 

五代友厚曾孫 稲岡 正子さん

若い頃には、先祖の名前が重く、できることなら避けて通りたい気持ちで生活し、友厚の業績に関心も寄せずに半世紀以上を過ごしておりました

、、、、、、、

映画化の話が進み、実現が本格的になって来た頃には、伝記を読み、父が残してくれていた『五代友厚伝』『五代友厚秘史』その他の資料を読み、大阪の街にいくつも存在する銅像や、大阪企業家ミュージアム、鹿児島県いちき串木野市薩摩藩英国留学生記念館に足を運ぶことになり、彼の業績を改めて認識することになりました。

 

世間的に、

正しい評価がされていないが故の

避けて通りたい様な気持ち、、と

言う事になるのだと思いますが、

あれだけ貢献し、

また私が勝手に

棒引きにしてもらえていたと思っていた

友厚の借金を、皆で返していたにも

関わらず、、避けて通りたい、、とは。

本当に悲し過ぎる状況です。

家族のチカラだけでは

どうにもならないと言う事も

あります、、。

五代友厚さんの子孫の方々が

晴れ晴れしい気持ちになれて

くれたことは

わたしも嬉しいし、、

きっと春馬くんもそうでしょう。

春馬くんの嬉しそうな

あの三日月が目に浮かびます。。

 

 

 

 

 

講談師 旭堂 南鷹師匠

 五代の最大の偉業は、薩英戦争で英国の捕虜となりながら、腹を切らずに、生き延びる道を選んだことだ。、、、

自ら買って出た敗北であり、武士にはあるまじき「負けるが勝ち」という美徳を持っていた。そこに五代の未来を見据えた力と矜持が存在する。

 

最終的な目標の為に、一旦は負ける。

そんなことも、

きっとわかっていたキミでしょう。

負けてもいいもの、屈したらいけないもの

自分の中で決まっていた様に感じます。

 

 

 

 

 

そして最後に、

共同プロデューサーの

鈴木トシ子さん。

 

春馬くんが五代友厚を演じいる時、

五代友厚に自身を重ねているのでは、

と思う瞬間が度々あった、、と

語られています。

 

遠巻きにしか観られないわたしですら、

そう思うのですから、、

近くで春馬くんを観ていた方が

そう感じるのであれば、、

本当にそうなのでしょう。

 

鈴木様には、

具体的に、どこにそう感じたのか、

お尋ねしたくなりました。

 

 

春馬くんが、居ない。。

と言う、

とんでもなく悲しく残念過ぎる結果

だけれど、、

 

春馬くんは、

一生に一度出会えるか否かの

運命的な、、

これ以上ないと言っていいくらいの

良い仕事をした、そう思います。

 

この映画を通して、

一生をかけてでも、

自分の伝えたかったこと、

残せたんじゃないかな、、と。

 

キミは

男子一生の仕事をした、、

そう思います。

 

 

そして、10億円超え、、

おめでとう、春馬くん。

 

 


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次の世代に

五代友厚公、三浦春馬さんの

想い・志伝える 

 

「伝えたい志がある。残したい想いがある。」を実現するために、「北辰斜にさすところ」(2007年12月公開)で始まった映画製作です。その後、ある一本の電話から五代友厚公を知ることになり、二作目の映画づくりへ流れができていきました。


 友厚公は、激動の時代に藩や政府、そして富国や日本経済の確立といった時代の要請に立脚しながらも、日本の行く末を見据えて職責を果たされました。武士から官僚、そして民へと立ち位置が変わろうとも、未来の世や人々の思いを大切にした友厚公の志の不思議さを知りたく、この映画製作に臨んでの私の命題となりました。

 

 五代友厚公の功績は、多岐にわたります。幕末から明治の動乱の世に、国禁を侵しての英国留学、明治初年の3つの外交事件の交渉人を努めたことが史実として残っています。三方よし、プラス未来よし、ときには三方痛み分けの時でも“未来よし”を願われていました。

 

 友厚公自身においては、短命な生涯であり、時間というものの不条理さへの葛藤があったように思われます。命の長短が分からない病の中でも、友の憂いに寄り添い、頼って来られた方々への心配りがありました。生き急がれた友厚公を間近で見続けた人々は、友厚公の借財を返済することを負と思わずに17年あまりを費やされました。

 

 そのような友厚公の実像を知っていただきたく二作目の映画「天外者」の製作が始まりました。主演三浦春馬さんが、五代友厚公を演じてくださる時に、友厚公に自身を重ねる瞬間がおありだったのでは、と思うこと度々です。春馬さんが、映像の中で五代友厚公として生きてくださったことには感謝しかありません。

 

 2023年12月11日には映画「天外者」の公開三周年記念上映が全国で開催されます。次の世代に、五代友厚公や三浦春馬さんの想いや志を伝えていけるよう五代友厚プロジェクトは、夢の続きを紡いでまいります。深謝。

 

 

 

映画「天外者」公開から3周年 12月11日特別上映に寄せて - 五代友厚プロジェクト 100年構想|奈良新聞デジタル