新参者II。

For HARUMA。

自分がそうでありたいと願うものになること。

 

 

先輩さんも投稿して下さっていますが、

東方面の“土浦セントラルシネマ”さん、

西方面の“中洲太陽”さん、

それぞれに、

関係者様が登壇して下さるのですね。

今日。

土浦には愛にゆけなく、残念です。

 

明日は愛にゆけるかな。。

 

 

 

 

 

ほんとーに、、今更ながらになりますが、、

ふとよぎったのです、、

 

普通、、

公開前に主演の役者が居なくなる、、

って、、

本当に大変な事ですよね、、。

あり得ない様な事で、、。

 

 

 

 

 

何かあればすぐ叩く、と言う、

被害者すら叩かれかねない、、

そういった風潮があるなかにおいて、

(そんな中あそこが叩かれなかった不思議、、、

はあるけど)

 

そんな中なら、

 

ただの自らの事情って言うなら、

 

 

 

この大事な時に、

 

三浦春馬、何やってんだよ、、と

言う声が多少なりとも

あってもおかしくはない状況だった

かもしれないに、、

 

 

それが、

ちっとも聞き漏れてこなかった

って、凄い事だなぁって、、

本当に今更だけど、ふと思う、わたし。

 

 

 

 

 

「天外者」だけではなく、

他の作品においてもだろうけど、

 

「天外者」について言えば、

クレームどころか、

こんなにも春馬くんを語ってくれている。

 

もちろん、

先輩ファンさんの情熱と

後押しがありつつ、、

 

 

やっぱり、

それは、、

人間“三浦春馬”の人柄、

彼の仕事に対する姿勢が、

そうさせてるんですね。。

 

 

そして、、

彼がこの結果、って、

 

よっぽどな、

のっぴきならない、

事情、状況があるんだろうと。。

 

そう言う想いになるのでしょう。

 

 

 

 

 

映画「天外者」は、

五代友厚プロジェクトの皆様にとり、

本当に大切なものだと思います。

 

映画のタイトル名の話からしても、

色々と、

五代友厚”を前面(全面)に出すものに

したかっただろうなと感じるけれど、、

 

こうして関係者の方々が

"五代友厚"の事以上に

"三浦春馬"を語ってくれている、、

と言うこの現実は、

本当に、、

春馬くんの生き方の結果と

心からそう思います。

 

そして、

プロジェクトや関係者の皆様の

春馬くんへの愛情あってのものだと。

 

 

 

 

はたして、

どれだけの人が

居なくなったあと

こうしてもらえるものか、、。

 

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「天外者」の映画パンフレットの中に

廣田さんのページが2箇所あります。

 

その2箇所共に、

五代友厚だけでなく

三浦春馬”の名前を

出して下さっっている事は、

当たり前な事などではなく、

本当に凄い事なんだと、感じています。

 

 

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あらためて、ゆっくりと

廣田さんの声を読み返し。。

 

廣田さんが、

解説してくっださっている五代さんに、

映画公開までの困難な道のりについてにも、、

全てに

春馬君が重なってくるわたしです。

 

廣田さんも、、

もしかしたら、、

そんな想いで書いてくださったのかも

しれませんね。。

 

そして、この映画が繰り返し上映される意味は、

けして春馬くんの事がだけではない、、と

今回廣田さんの文を読みそう感じました。

 

春馬君ファン以外の方にも観ていただけて、、

そして『世の中にどうかかわっていくか』考える

きっかけになってくれたなら、、とそう思います。

 

 

 

 

「天外者」の公開に感謝して。 

五代友厚プロジェクト」代表/制作総指揮 

廣田稔

 

 

五代友厚を描いた映画『天外者』が公開の運びとなりました。ようやくたどり着いたというのが実感です。長い道のりでした。ここまで映画製作に協力してくださった多くの方々に感謝でいっぱいです。

しかも主演の三浦春馬君が亡くなるという悲しい出来事もありましたが、彼もきっとこの公開を喜んでくれているでしょう。

 

私が代表を務める『五代友厚プロジェクト』は7年も前に立ち上げました。五代友厚を主人公にその生涯を映画にしたいとの依頼が、2007年『北辰斜にさすところ』という三国連太郎さん主演の九州を舞台にした映画を製作した経験のあり私達のところへご縁として巡って届きました。

鹿児島出身で大阪経済界の恩人といわれている五代さんなのに、はじめは「五代って誰?」とみんな知りません。熊本人吉の出身で熊本大学卒業の弁護士で、大阪北浜に住んで取引所前の五代さんの銅像を毎日のようにみているはずの私でさえです。

お話があって五代さんいついて知るにつれ、志高く時代を生き抜いた彼の魅力に強く惹かれ、政治に関わった坂本龍馬西郷隆盛は良く知られいる一方で、国の土台たる経済に一生を捧げたのに政商としての評価が低かった五代さんを多くの人に知ってもらうべきと思い、一度限りのはずの映画製作に再び取り組む決心をし、2013年に『五代友厚プロジェクト』が始動しました。

 

メンバーは五代さんゆかりの方、五代さん親族・関係者、北辰の経験者、鹿児島県人会、私の本業の関係者等々約80名で、7年間に多くを学び、多くの取り組みをしてきました。人とのつながり、人の輪が7年間みんなで頑張ってこられた力の源です。

 

プロジェクトでは五代さんの一生を学び、その広い視野と洞察力は如何に育まれたか。頭の理解だけでなく次々と実行に移し実現していった行動力の源はと考え、自らの人生の思いを馳せました。そして五代さんが目を向けた当時の西欧諸国の資本主義、自由主義の基本を学生時代に立ち返り、皆で学び直し、現代の成熟の結末とも言うべき自由主義、民主主義の危機的状況をいかにとらえ行動すべきかを考え議論しました。

 

そうした学びとともに、講演会やシンポジウム等々いろいろな取り組みもしてきました。毎年命日の9月25日には、大阪阿倍野斎場の五代さんの墓前で慰霊祭を営んでいます。平成28年からは「五代さんの人生を検証する中で自らの生き方を考えてみよう!」と高校生、大学生に呼び掛けて、「五代甲子園」を開催しています。映画化のための脚本の公募も行い、38本もの作品が寄せられました。残念ながら採用には至りませんでしたが、いろいろと教えてもらいました。

 

映画製作では何といっても資金集めが大変です。映画製作そのものにも、その他もろもろの準備に多額のお金がかかります。今回7年と長くかかった一因でもありました。素人集団がやってきたのです。今回のこの映画には300名にも及ぶ多数の方々の出資協賛をいただいて、ようやく作りあげたのです。パンフレットにご芳名を掲載しております。感謝です。

 

映画の内容、資金繰り等、なかなか進まないもどかしさに悩んだ時期、動きが停滞した時期も正直ありました。「本当にできるの?」とメンバーが口にしたこともありました。でもその時に支えてくれたのは五代さんの生き様でした。

 

五代さんは幕末に薩摩藩士の子に生まれ、才能あふれる若者で、長崎遊学を経て、英国留学で多くの知見を得、帰国後明治政府では大阪で活躍、退官後は鉱山開発,貿易業の他、大阪造幣局、大阪商業講習所(現大阪市立大学)、大阪株式取引所、大阪商工会議所阪堺鉄道(現南海電鉄)等の設立に関与して、明治初期の大阪経済産業界をまとめ上げた人です。

 

49歳で亡くなっていますが、よくこれだけのことができたと感心するばかりです。この頑張りを前にしてプロジェクトもへこたれてはいられませんでした。

ところでプロジェクトで五代さんを知るにつれ、このような広い視野とアイデアと行動力を五代さんにもたらした、いわば五代友厚における人格形成の転機たる5つの出来事がわかってきました。

 

先ず世界地図、地球儀との出会いです。薩摩、日本にとどまらぬ視野を得ます。わずか12歳で世界地図を模写し藩主に献上、地球儀を作ったと言われます。

 

次に藩校造士館(旧第7高等学校、鹿児島大学前身)でのオランダ語、英語の習得です。単なる日常語でなく、法学、社会政策論の本を教材としてそれぞれの国情や歴史も理解しようと深く学び、武士の学びの狭量さに悩んでいたような気がしてなりません。

 

次が長崎伝習所遊学時、これまでの学業や武術での自信が打ちのめされます。他藩のなかでも藩を挙げて学問重視の鍋島藩の面々の優秀さに、自己未熟さをの痛感します。併せてオランダ人の先生から資本主義の成り立ちや本物の歴史を学びます。資本主義の力の源に投資家への信頼があり、法の支配と私有財産を擁護する国家の有様を知ります。

 

4つめが薩英戦争で捕虜になり、保釈後探索をうけ逃亡した際の生活体験です。死の危険に直面し、生かされることへの感謝と、ただ生きるだけでなく『命がけの飛躍』を

試みて『自分がそうでありたいと願うものになること』が大切と理解したのです。

 

最後が1865年の英国留学です。これは藩主への上申により19名の藩士を引率して実現しました。マンチェスターバーミンガム、で工場などを訪れ、資本主義を現場で体感し、深い感銘を受ける留学となったのです。人の一生には何度もそして多くの学びのチャンスがあると思いました。

 

さらに五代さんの頑張りだけではなく彼を支えた多くの存在を知りました。賢夫人と称えられる豊子夫人はもとより、資金面も含めてグラバー氏の厚い友情、英国留学をサポートしたロンドン大学、留学前の14人の世話をした羽島の人達、等々の方がおられてこそ、五代さんの熱い思いの実現があったと感謝の念を強く抱くようになりました。

 

五代さんいついては評価のわかれるところもありますが、この映画ではある意味、進取の気概に富んだ実行力のある生き方を、この時代の憧れの青春として、五代さんに投影した部分があります。

 

今回、まるで五代さんと一つになったかの演技を見せてくれた三浦春馬くん。2019年の撮影でしたが、主演が決まってから五代さんいついて真摯に学び、9月25日に慰霊祭には個人として参加をして、墓前で『しっかり五代さん役を務めさせていただきます』と誓ってくれました。

 

彼によって五代さんの人生を映像にでき、五代さんとも出会いを、映像を観る方に与えてくれました。

 

彼ののこした『日本製』の本のインタビューの項で「五代さんを演じ史実を扱う責任の重さや自分の意識の変化を実感した。」「プロジェクトがあり、一つの作品を作るうえでこんなにも大勢の方がかかわっているという実感をいつも以上に感じられる現場だった。」「五代さんを演じた期間はとても充実していたし、三浦春馬という俳優としても、ひとりの男性としてもベストをつくすことができたと胸を張っていえる作品になった。」と述べてくれています。

 

公開を共に楽しめなかったことが、本当に残念でなりません。彼には演技者としてもっともっと伸び深め生きてほしかったです。三浦君の渾身の演技が光る作品ですが、色々欲張りすぎて、散漫で深まりにかけた印象を持たれたり、歴史背景を知った上でないとわかりにくいところもあろうかと思います。ぜひ幕末の明治の歴史、若者人々の台頭、当時の海外の情勢をおさえてから、振り返ってください。あるいは、もう一度観て下さい。そして仲間と話し合ってください。五代さんの生き方から何をくみ取れるのか、これから世の中にどうかかわっていくのか、この映画がきっかけになる事を祈ります。

 

最後に、五代友厚三浦春馬君のご冥福を心よりお祈りいたします。

そして、この映画の完成と公開に力を尽くし、力を添えて下さったすべての皆さまに深い感謝を捧げます。本当にありがとうございました。

 

 

 


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