新参者II。

For HARUMA。

公認されない悲しみと三流。

 

 

 

春馬さんの死を悲しむ心も公認されないから

行き場を失った痛みが血となって空にめぐる。

 

 

 

 

これは、わたしの言葉ではありません。

ありませんが、、

これを観た瞬間、全くその通りだ、、と、

そう思いました。

 

わたしは、、

ここまで、強くハッキリと記したことは

ないけれど、、、本当にその通りだと。

 

 

 

 

何度かお伝えしていますが、、

わたしは時々、

 

春馬さんをずっと観てきた方の

古いブログを

読ませて頂いています。

アメブロだけでなく、、。

 

 

 

なんの憂いもなくハジけていた頃や、

あの夏の少し前のあたり、

あの夏、そしてそれから

追悼サイトが発表されたあたりまで、、

 

その時々で、

みなさんは春馬さんを

どんな思いで観ていたんだろう、、と。

 

 

 

今、こうして、

好き勝手に書かせて貰っている者として

春馬さんの作品や語ってきた事を

観させて貰うのはもちろんのこと、、

その春馬さんに伴走してきた方々が

どんな思いで寄り添ってきたのか、、

知らなくてはいけないんじゃないか、、

そんな気持ちにもなっています。

 

 

 

ブログを上げている方は、

春馬さんに伴走して来た方の

その一部の方、

と言う事になるのでしょうから

伴走者の総意、とはいかないとは

思いますが、、

 

 

 

みなさん、

春馬くんをいつくしむ様に応援をし、

あたたかい気持ちで春馬くんを楽しむ、

 

読ませて頂き、

そんな印象をわたしは持ちました。

けして、汚れた言葉など使わずに、、。

 

みなさん、

春馬くんを愛している。

 

 

 

 

 

ブログとして探し

読ませて頂くこともあれば、

違う検索をしていて、

どなたかのブログに

偶然出会う事もあります。

 

 

 

上段の

文字達を残された方の投稿は、

たまたま出会ったもので、、

全文を引用させて頂きたい気持ち

ではあるのですが、、

一部をご紹介させて頂く事を、

お許し下さい。

 

 

 

 

この投稿は、追悼サイトが公開された

タイミングでポストされています。

 

彼女の大切な投稿を要約するのは、

安易な手立てで、

とても申し訳ないのですが、、

 

 

 

 

 

 

ひとは、愛する人ときちんとお別れを

しなくてはいけない。

親しかった方たちのお別れの言葉を

聞きたい。

喪に服すと言う儀礼があり、

彼を思う言葉や沈黙の中、

痛みを分かち合える様な

時間や場所が必要。

 

 

あの日

そうしたかったキミを

受け入れるしかない。

 

 

一年経っても、追悼式もない。

(その理由は)

人が集まってはダメ、、

それだけではないですね。

 

この世の去り方で、

死の扱いに差があるのですね。

 

自◯は罪なのか、、

誰に対する罪かな、、

 

きちん悼んでもらえないのが

悲しいのです。

 

 

 

 

わたしの知人にも自らを選んだ人は

います。

彼女の知人にも居ると書かれていました。

 

 

 

何度も記してはいますが、

例え結果、自らであったとしても

それを選ぶしかない何かがあった、、

 

自◯の9割は他◯の書籍に、

けして、自らの単純な事情だけで

そこまでになることは少ないとある様に

ただの選択などではなかったと

わたしもそう思っています。

 

 

 

 

それでも、、

春馬くんが、

丁寧に、

悼まれ、送られていった、、

春馬くんは大切にされた。

 

そう言う印象を持つ事が出来なたら、

きっと、

ここ迄の大きな痛みには

ならなかっただろうと思うし、

彼女にこんな苦しい投稿をさせる事も

なかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

何かがあって、、とても

お別れ会など出来ない状況に

あるんじゃないか、、と

感じているけれど、、

 

 

 

 

自ら、、と、言い張り、

やると言っていたお別れ会も

そのまま、

皆さんの魂にも等しい

お手紙の行方へはどうなるのか、、

 

この状況は、、

あまりに冷たいと思う。

 

彼女の言う様に、

去り方によって、扱いが違う、、

そう思われても仕方ないし、

わたしもそう言うことになるよね、、

とそう思う。

 

 

ならば、いっそ

自らの人間を、丁重になど

送れない、、、

そうハッキリ言ってくれと言いたい。

そうしたら、諦めもつく。

 

 

 

どんな状況であれ、、

最期くらい、

きちんと丁寧に大切にして欲しい。

 

残念ながら、

それが出来るのは、

事務所か親族しかいない。

ファンクラブもない中、

私たちの手で、、と言うのは

難しいことだ、、。

 

だから、、

個別にやれる追悼することになり、

それが、またファン同士で賛否になる。

 

ファンだけがいけないのか?

 

 

 

理由を追求しても春馬は戻らない。

親しい人でのお別れ会、

そして、

偲ぶ場所を作って欲しい、、

そう語っていた、

お父さんの言葉が、本当に全て、。

 

 

やるべき人達が、

人としてやるべき事を

全うしない。

 

 

春馬くんのファンに、

こんな投稿を書かせてしまい、

こんな気持ちにさせる、、

 

それで、エンタメ会社と言えるのか?

エンタメとは、

人に勇気と希望、元気を与える事が

できる素晴らしい仕事なはず、、

 

いちばん身近な人間を、

癒す事すら出来ないのだから、

エンタメなどと言う看板は意味がない。

 

 

身近な人すら救えないのだから、

感動とか、人間らしくとか、

チャリティーとか言われても、

もう、すべてが、嘘くさくしか聞こえない。

 

 

 

ただの営利追加会社。

会社ってそういうものだし、

あの会社が、存在することで

生活している人もいるでしょう。

 

企業としてどうかはわからないけど、

エンタメ会社としては

一流とは言えないでしょう、、

これは、批判じゃなくて

わたしの正直な感想です。

 

 

 

会社は、

春馬くんの事だけを構うわけいかない、、

ある意味迷惑かけたのだから、、

とか、、

ファンが騒ぎすぎるから追悼式が

出来ないんじゃないか、、

と、、

本当に謙虚な姿勢を示すファンも

いるけれど、、

 

 

そこまで、遠慮しなくちゃダメですか、、

 

ファンが、引いたら終わりじゃない?

は、、言い過ぎですか?

 

 

 

以前も言った様に、

リアルで春馬くんを応援して来た方々の

殆どが、この状況で仕方ないと、、

そう思う事が出来ているなら、

わたしなんかが、

とやかく言う必要ないんだけど、

 

 

どうなんだろう、、本当に。。

 

 

 

マネジメントが存在しなければ、

たしかに、

アーティストは活動出来ないけど、

究極においては、、

無性の愛をしめせるのはファンしかいない。

 

そのファンが、遠慮していいのか、、

 

 

 

 

 

 

高校入学と同時に親元離れ、

単身東京に来て、あの事務所で

10代半ばから仕事をしていた春馬くん。

 

もう、それは、、

春馬くんにとって、、

大切な居場所であり

家族より多くの時間を共にした人達が

いる場所でもあるわけでしょう、、

 

やれるのは彼らしかいないのに、、

 

最期のお見送りは、

彼らが、春馬くんに出来る最期の

優しさだと思うけれど、、

 

 

いや、、

数人で見送った、、

そう言う記事は見ていますよ、、

だけど、、

何か実感として、、

あたたかいものが伝わってこない、、

 

 

いったい、

どんな事情があったら、、

こんな残念な結果のままで、

いられるのだろうか、、、。

 

 

これが、、

本当に、、

出来ることの精一杯なんだろうか、、。

 

 

 

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