新参者II。

For HARUMA。

祈り。そして原因究明は明日への希望。1/2

 

 

第一稿をポストした後に、

TVから流れたあの速報。

 

 

どう発したらいいのか、、

もう、言葉すら決められず、、

通常投稿をさせて貰った。

 

 

 

 

 

わたしの、

5つ年下の従姉妹(母方)が、

能登地方に嫁いでいる。

 

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3日の夕方、

連絡が取れ、

無事を確認することが出来ました。

 

 

 

 

彼女は早くに実母を亡くしており、

私の母が、

母親代わりの様な存在であり、

ある時期からは私以上に何くれとなく

母に相談事をしていた様だ。

 

 

母が生きていてくれているうちは、

嫁いでからも、

実家によく遊びに来てくれていた。

 

 

近くにいながら、

忙しさを理由に中々ゆっくり時間を

作らない娘にかわり、

彼女が母を癒やしてくれていた部分は

きっとあっただろうな、、と

 

 

 

私の印象にはなるけど、、

彼女の義母は中々のやり手で、

幸せで恵まれた縁だったとは思うが、

あの素晴らしく美しい地方都市での

暮らしであっても、

全てがふんわりしたもの、、

とは行かないのだろうな、、と

勝手に想像をしていた。

 

 

そんな中、

彼女にとり、

母の存在は唯一の拠り所であり、

かけがえのないものだったろうと思う。

 

どんな話しをし、

どんな相談をしていたのかは、

全く分からずじまいである、、

 

聞いてはいけない、、

そんな気がして、

 

私も聞かなかったし、

母も何も言わなかった。

 

 

当時、、

早くに肉親を失い、

その、家族の大切さを、

身に沁みてわかっていた彼女と、

まだまだ親は元気でいつまでもいるもの

などとあまちゃんだった私。

 

そんな違いを、、

あの頃、

母はどう思っていただろう、、。

 

 

 

遠い地へ嫁いだ事もあるが、

母が他界してからは疎遠になっていた彼女。

 

色々連絡先を探す羽目になり、

連絡がついたのが3日になってしまった。

 

 

 

彼女と旦那さんは、

既に何年も前に

金沢へと住まいを移していて、

 

もともと彼女達が住んでいた

能登の家に、息子さん一家が住み、

近所に義母さんが住んでいた、、

と言う状況だったらしい。

 

 

 

皆、無事ではあったけれど、、

能登の家、義母様の家は

もう住める状況にはなく、

(家としても町としても)

仕事の都合で息子さんひとりが

能登に残り(車中泊)、

それ以外の家族は、

彼女の金沢の家に避難しているそうだ。

 

 

金沢では、通常生活が出来ている

けれど、、

 

連絡の取れない友人知人、

家も会社も潰れてしまい絶望している

友人がたくさんいる、、、と。

 

 

 

大変な中において、、

彼女と家族のもとに、

本当にたくさんの人から

心配をする連絡が入り、

 

こんなにたくさんの方に

気にかけて貰い、、

本当にありがたいと言っていた彼女。

 

 

 

 

 

 

心配しています。

大丈夫ですか?

何が出来る事、ありませんか?

 

 

 

私が、彼女に送ったのは

三行のショートメッセージ。

 

 

それでも、

連絡をくれて嬉しかった、、

と言ってくれた彼女。

 

 

こんな、小さな事だけど、、

少しでも、、

心の助けになってくれたなら、、

こちらも救われる。

 

 

 

大きくは、、

祈るしか出来ないけれど、、

 

 

 

気持ちばかりのお見舞いを

送らせて貰った、、。

 

そして、

また、

流通状況見計らい、、

少しでも気持ちが和らかくなる様な

何かを送れたら、、と。

 

 

 

 

 

何かあった?

大丈夫?

 

 

結果、、

何も話してくれなくても、

何もしてあげられなかったとしても、、

 

 

誰かが、

気にかけてくれた、、

その事自体が意味あるもに

なってくれるだろうと感じる。

 

 

 

みなさんは、大丈夫ですか。

 

 

誰しも、

何も憂いがない、、

なんて事はあまりないでしょう。

わたしもあります。

 

今年も、また一踏ん張りですね。

 

 

 

 

心よりお見舞い申し上げます。