勇者なキミたちへ。
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たとえば僕がファッションイベントに招待されてランウェイを歩くとき、どうしてここにいるんだろうと不思議な気持ちになったりもします。一方で、貴重な経験をさせてもらえることをありがたいと思っているのも、正直な気持ちです。僕が出ることによって出られなくなる人も当然いるわけだから、不満に思っている人ももしかしたらいるかもしれない。そこで僕のできること、やるべきことは、感謝の気持ちを言葉や態度できちんと示すことに尽きると最近強く思うようになりました。かっこつける時代はもう終わったのかなって。
「かっこいいね」と言われるのは、、、
ふれる(7)/俳優として、村木さんとかっこつける時代は終わった。 - 新参者II。
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ありがたいけど、役者として本当にほしい評価は、そこではないんですよね。
➖それはつまり、もっと演技で評価されたいということ?
こんなことを言うのもなんだけど、役者は面倒くさい生き物で、「うまいね」とか「器用だね」なんてめ言葉も、ときと場合によって、嫌味に聞こえてしまうこともあるんです。僕はそういうめ言葉を、わりと素直に受け止められるタイプだと思っているけど、それでも斜めから見てしまうようなときもある。だけどそれも成長の証なのかなと思っています。
➖演技についてより考えるようになったからこその変化なのかもしれませんね。
変化といえば、演技以外の場で思いを伝えることの大切さも感じるようになりました。演技がすべてなのだから作品について自分の口であれこれ語る必要はない、という意見もわかる。
だけど僕は、作品に対する思いを自分の言葉で伝えることも役者の大切な仕事のひとつだと思っています。たとえば『永遠の0』という映画を、僕はより多くの人に観てもらいたかったし、作品を通して伝えたい思いも明確にあったから、ハードなプロモーション活動も苦にならなかった。肉体的には当然疲れるけど、精神的には平気というか、もっと伝えたい思いでいっぱいだったんです。自分の気持ちが強すぎて、言いたいことをうまく伝えられないと悔しいし、反対にこちらの熱意が伝わったときは本当に嬉しい。しかも勝手なことに、そういうときに言われる「かっこいいね」という言葉は、素直に受け止められるんです。言葉って相手がどう思って発しているのかというととより、自分の心の持ちようで響き方が変わってくるものなんですね。自分に満足できていないときほど歪んだ見方をしてしまうし、反対にあれこれ考える余裕もないくらい本気でぶつかっているときは、どんな言葉もプラスに受け止められるのかもしれない。
➖たしかに同じ言葉でも、受け取る側の気持ち次第で意味合いが変わることはよくあります。
人に何かを伝えるのは、本当に難しいですよね。演技に迷っているときの役者って、監督にハッとするような言葉をかけてもらいたいと思っているんです。だけど役者と監督の関係に限らず、言葉や態度で相手に魔法をかけられるような人なんてそうそういない。簡単に伝わらないから面白いのだろうし、みんな必死になるのだろうし。
僕は演技を通して、人に何を伝えることができるのか。そもそも僕は、本当に演技ができているのだろうか…・・…。。子どもの頃からこの世界で生きてきましたが、最近そんなことをよく考えます。これまでの僕の俳優人生は、基本的には実践あるのみで、いわゆる演技論を誰かから教わったわけでもないし、演技に関する本を片っ端から読んで独学したわけでもない。
だから専門的な演劇用語やメソッドを滔々と語られても、感覚的にしか理解できないし、それでいいのだろうかとも思うんです。
演技について学びたいこと、知りたいことはたくさんあるけれども、どこから手を付けたらいいのかわからなくて焦りもするし。だけどひとつだけはっきり言えるのは、日に日に演じることが好きになっているということです。そう思えることが僕にとって大きな喜びであり、だからこそ演技について真剣に悩み、不安になることが増えたのかもしれません。