求めるところは
自分の心にしかない、、
美しいと思える心が
美しい、、
今日は何も語らず、
春馬くんのことばだけを
ここに置きます。
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二〇一三年
一茶道に興味を持ったいきさつについて教えてください。
保育園のときにお茶の時間があって、先生がたててくれた子ども用の甘い抹茶を、器を回して飲んだ記憶があるんですけど、いわゆる茶道に触れた機会は、実を言うとそれくらい。お茶って日常的に飲んでいるけれども、本当においしいものを自分は飲んだことがあるのかなあ、とふと気がついたんです。
渡辺保先生から日本舞踊の話をお聞きしたとき、お茶の話になって、腰のきちんと入っていない人がたてたお茶はおいしくないとおっしゃっていました。それがすごく面白いなと思って。同じ人のたてたお茶を毎日飲んでいると、その人の日々の健康状態がわかるようになる、とおっしゃっていました。
おいしいお茶をたてるには、体の動きはもちろんだけど、心の持っていき方が大事なのだそうです。つまりそれは無心になることらしいのだけど、「こんなふうにやったら、うまく見えるだろう」などと思っているうちはダメだと聞いて、演技と共通している部分が多い気がして、ぜひ体験してみたいと思ったんです。
そして京都へ行って実際に体験してみて、いかがでしたか?
お茶室という空間に、まずとても惹かれました。あの狭い空間に足を踏み入れると、それだけで心が静まるんです。季節を感じさせるお花や掛け軸も演出として素晴らしくて、まるでひとつの舞台のようでした。茶道にも独特の所作がありますけど、手元まで美しく見せるという意味では踊りと共通する部分が多い気がします。豚秋を扱う手つきひとつとっても芸術的で、本当に長い年月をかけて磨かれてきた作法なのが見ているだけで伝わってくるんです。
自分でお茶をたててみて、感じたことは?
佐山宗進先生から作法を習いながらたてたのですが、やっぱり見るのとやるのとでは大違いでした。茶筅を使って抹茶とお湯を混ぜるとき、円を描くのではなく、手首を縦に動かすよう教えられたのですが、手首に余計な力が入ってしまうんです。
僕のたてたお茶と先生のたてたお茶を飲み比べてみたら、同じ抹茶を使って、同じ手順を踏んでいるのに、味がまったく違っていました。先生のたてたお茶は泡がきめ細かくて、口に運ぶと甘くて優しい味がするんです。
雑味もなく、舌ざわりが本当にいいんですよね。一方で僕のたてたお茶は、泡が立たなくて見た目も美しくなかったし、味が重いというか苦さのほうが立っていた。舌ざわりもざらざらして、こんなに違うのかと驚きました。
京都の瑞茶院では、前田昌道住職から茶道の精神についてのお話をうかがいましたね。どんなことが印象に残っていますか?
とても深く刺さったのは「求めるところは自分の心にしかない」という言葉です。
「役者でも坊主でも、どんな職業にもいえることだけれども、求めるところが頂上というのはみんな一緒なのだから、達磨大師のように何度倒されても起き上がって、ひとつの場所へ向かっていけばいい」とおっしゃったんです。しかも、その頂上は自分の心にあるのだと聞いて、目から鱗が落ちました。
僕らみたいな仕事はどうしても周りの目を気にしてしまうし、いろんな意見に左右されてしまいがちじゃないですか。そういう意見に耳を傾けすぎると、ときどきやっぱり疲れてしまう。自分がなりたい役者像なんかも、この仕事を始めた頃は漠然としていたけれども、年齢と経験を重ねるにつれてどんどん具体的になってきて、5年後、10年後のイメージは前よりかなり見えているつもりです。
そうやって目標とする姿を構築していくうえで、いろんな人の意見を取り入れていくことは大切だけれども、本当になりたい姿はやっぱり自分の心に聞くしかない。逆を言えば、正しい心を持ち続けてさえいれば、転んだり道をそれたりしても戻ってこられるんです。
倒れて元の場所に起き上がるのは、簡単そうで難しいことのような気がします。
頭や肩の力を抜いて、丹田にカを入れればいい、とおっしゃっていました。おへその下の丹田を意識するのは、踊りも一緒ですよね。
丹田を意識するためには呼吸が重要だそうで、そのことは役者としても日々感じています。舞台で長いセリフを言ったり、歌を歌ったりするときなんかは特に、自分の空気が足りないと”いい音が鳴らないんです。当たり前といえば当たり前なんだけど、うまくコントロールできなくて。感情だけが先走って、気づいたときは肺に息が残っていなかったり、いい音を鳴らすべきところでパワー不足になって伝わりづらくなってしまった•…・。
だから演技をしている間も、どこかで冷静に自分を客観視していないといけない。そこが演技と現実の違うところで、何度も稽古を繰り返すのは、そのためだと思っています。日常生活でも、元気のないときって呼吸が無意識のうちに浅くなっているんですよね。落ち込んだり、心配事があるときこそ、意識的に深呼吸をすると楽になるらしいです。住職が毎朝念仏を唱えるのは、いい空気を吸うためだそうで、呼吸はすべての基本なのだと痛感しました。
お茶をたてて飲むという行為も、呼吸を意識するいい時間になりそうですね。
京都で抹茶と茶筅を買ってきて、東京へ帰ってから独りでお茶をたてて飲む「独服」を何度かやってみたんです。先生に習ったことを思い出しながら自分でたててみたのだけど、まだまだおいしいお茶はできない。先生は「自分のためではなく誰かのために作るお茶のほうが、おいしくできるものですよ」とおっしゃっていました。そもそもお茶は、おもてなしの精神から生まれたものだからなんでしょうかね。もう少しおいしくたてられるようになったら、誰かに作ってみたいですね。
独服をして、気持ちの面で何か変化はありましたか?
紅茶やコーヒーを飲んでもほっとするけれども、それとは全然種類が違うというか、経験したことのないような癒やしを感じて、正直驚きました。心配事があったり、イライラしているようなときでも、独服をすると安らかな気持ちになって、雑念が見事に収まるんです。
今まで何か嫌なことがあったときは、サッカーをして無心になってボールを追いかけるのが、僕にとってのストレス解消法でした。だけどお茶の場合は、エネルギーを発散させることなくりフレッシュできて、しかもリラックスできる。僕の知る限り、もしかしたら一番癒やし効果があるのかもしれない。お茶の力ってすごいなと思いましたよ。
1日本舞踊とお茶、ふたつの伝統的な日本の文化に触れて、発見できたことをあげるとしたら?
日本舞踊にしろお茶にしろ、ほんのちょっと触れただけでも日本人としての誇りを持てたし、それらを純粋に美しいと思えることが気持ちよかったですね。住職が「美しいと思える心が美しいんだよ」とおっしゃっていたのが印象に残っていす。
とても素敵な言葉だと思ったのと同時に、美しいものに敏感でありたいし、きちんと感じられる人でいたいと改めて思いました。美しさを感じる心を発見できるのは、本当に豊かな体験ですよね。そういったものにたくさん触れることで、役者としても、人間としても魅力的に成長できるのだと思います。
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