勇者のキミたちへ。
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三浦春馬作品「ふれる」。
肌で感じたアジアの文化
二〇一四年
➖海外に目を向け始めた、直接的なきっかけはあるんですか?
20歳を過ぎた頃から、俳優として海外に出てみたいと思うようになりました。10代の頃も仲間と集まって夢を語り合ったりしてたけど、仕事も遊びも居心地のいい場所で楽しめていれば満足な自分がいたんです。そうやって夢を語った次の日は、どうしてあんな熱くなっちゃったんだろうって気恥ずかしくなったりもして。
今思えば役者をやっているやつも、音楽をやっているやつも、大なり小なり海外という場所を意識していたと思います。いつか海外進出をしてやると明言して、前向きに頑張っているやつもいれば、興味のないふりをして陰で努力しているようなやつもいたし。
➖三浦さんはどっちだった?
僕は役者としての経験を重ねていくうちに、仲間の影響も受けながら、少しずつ広い世界へ目が向くようになった感じですね。
昔は海外で貴重な出会いがあっても、できない英語を使うのが恥ずかしくて、積極的にコミュニケーションできなかったんです。仕事で行っていたにもかかわらず、海外を仕事の場所としてとらえていなかったんでしょうね。
➖そんななか、上海で映画の撮影をするチャンスが舞い込んできたわけですね。
監督は日本人ですが、日本人のキャストは基本的に僕ひとり。当然、中国語のセリフがメインになるので、現地入りする2カ月ほど前から中国語の勉強を始めることになったんです。だけど語学の勉強は、想像以上に地味でしたね。
定期的なレッスン以外に毎日1時間音読をしていたのですが、これは話せるようになるための基礎の基礎。いくら単語や文法を覚えても、口に出して話さないと身につかないんです。どんなことでも地道に積み重ねていかないと、形にならないと痛感しましたね。
➖そして上海入りしたのが、2013年の10月下旬。
撮影前の最初の数日間は、ここでも中国語の特訓でした。役者も指導している先生にレッスンをつけてもらって、発音や舌の動きなどの基本を確認したのですが、いきなり壁にぶつかってしまいました。日本で習っていた先生は中国の別の地域出身だったので、僕の発音は上海の話し方と違っていたのです。
それが僕にはまったく別物に思えてしまって、また一からやり直さなければいけないのかと、正直かなり落ち込みました。だけど2日目に苦戦していた発音をようやく言えて、その瞬間、先生が泣き出しちゃったんです。
驚いた僕を見て「私は感動しやすいのよ」と言っていましたが、会って間もない外国人の僕にこんなに親身になってくれて、感謝の気持ちで胸が熱くなりました。あれは忘れられない出来事だなあ。僕が先生の息子さんと同い年というのもあって、本当の息子みたいに何かと面倒をみてくれて。健康面を気づかってフルーツジュースを作ってくれたり、レッスンの最終日には上海ガニを食べさせてくれました。撮影が始まってからも、先生自ら台本を音読したものを録音してくれて、空き時間はいつもそれを聞いて練習していました。
➖行って早々、素敵な出会いがあったのですね。撮影にはどんな気持ちで臨んだのでしょう。
実を言うと、ロケ弁がおいしくないとか、メイクルームがないとか、過酷な環境を想像していたんです。どんな環境でも耐えてみせるぞっていう気合いが、勝手なイメージを作り上げていたのかもしれません。だから、これから1カ月間滞在することになるホテルの部屋のドアを開けたとき、こんなにちゃんとしたところに泊まっていいのかなって、ありがたい反面、拍子抜けしてしまいました。
宿泊先だけでなく控え室や食べ物に関しても、役者が演技に集中できるようにかなり気をつかっていただいていたと思います。その一方で実際に撮影が始まると、良くも悪くもカルチャーギャップを感じる場面が多々ありました。刺的という言葉ではもの足りないくらいの毎日で。そういう意味では、期待を裏切らなかったといえるのかな。製作スタッフは各部署の長が日本人で、その下に中国人スタッフがついていました。だから何をするにも、通訳する人がいないと一向に進まないんです。海外の現場では当たり前の光景なのかもしれないけど、日本の現場しか知らない僕はもどかしさを感じてしまいました。映画の撮影現場で待ち時間はつきものだし、予定通りに進まないことは珍しくありません。
だけど日本だったら、なぜ撮影が止まっているのか周りのスタッフに聞けばすぐにわかるようなことでも、理由もわからないまま時間だけが過ぎていく。そんなことが何度もありました。
➖細なことの積み重ねが、ストレスになりそうですね。
街中でロケをしているとき、通行止めをすり抜けてバイクが入ってきて撮影が中断されたり、申請していた撮影許可が下りていなくて、警官と一悶着なんてこともありました。
日本ではどれも考えられないことだけど、僕はあくまでも日本からやってきて撮影させてもらっている立場なので、郷に入れば郷に従うべきだと思っていたし、おそらくこれが中国のノーマルなのでしょうね。
意思の疎通ができなかったり、感覚や常識の違いから生まれる大小さまざまなトラブルが、ストレスになっていなかったといえば嘘になります。そういったストレスとどのように付き合っていたのでしょう。役者として今やるべきことは、ストレスや憤りを芝居にぶつけることだと思って、演技に集中するよう努めました。ストレスは、ときとして演技にいい作用を与えてくれると僕は思っているんです。
役者自身が追い詰められているからこそ、観る人の心に訴えかける真に迫った演技ができるという話はよく聞くし、撮影前にわざと役者を精神的に追い詰める監督もいるほどだから。反対にストレスに負けてしまうと、芝居も死んでしまう。だからストレスは、諸刃の剣といえるんです。僕のストレスが演技にどう作用したのかはわからないけれども、最善を尽くすことはできたかなと思っています。
➖一生懸命マスターした中国語での演技は、結果的に満足のいくものになりましたか?
自分のなかから生まれてこない言葉を使って演技をするのは、未知の世界に触れている感覚がありましたね。話すだけならある程度練習すればできるけれども、そこに感情を乗せて演技をするのは、想像以上に難しかった。だからこそセリフに気を取られすぎず、気持ちで演じることを常に意識するようにしました。最悪の場合、アフレコ(※撮影後に声を別途録音すること)でもいいじゃん、っていうくらいの気持ちで。あくまでも気持ちだけですけどね。だけど頭でそう言い聞かせても、「今、ちゃんとしゃべれなかったな」とか「発音が甘かった」ってどうしても気になるんです。だから自然に言葉が出てくるようになるまで、練習するのみでした。日本語のセリフを覚える3倍以上の時間はかかったかな。そのかいがあったのか、長いセリフのシーンを終えたとき、中国人スタッフによかったと言ってもらえました。
➖中国の役者さんと共演してみて、感じたことは?
演技のアプローチにも、国による違いがありました。言葉で表現するのが難しいのだけど、中国の役者さんは一概に演技が大きいんです。たとえば考え事をしながら話をするという演技の場合、手で頭を触れてみたり、話しながら両手を動かしてみたり、比較的大きなアクションがついてくる。日本だと、もう少し控えめな演技のほうが主流ですよね。どちらがいいとかではなく、国の違いによる好みや感覚の違いだと思うので、その辺りは興味深かったですね。そういえば韓国でミュージカルを見たときも、似たようなことを思いました。韓国のミュージカルはすごく表現力が高いんです。舞台の役者は基本的に舞台だけやるのが一般的みたいで、圧倒的に歌もうまいし、身のこなしも素晴らしくて、プロフェッショナルな印象を受けました。でも同じことを日本でやっても、受け入れられるかどうかはわからない。日本には日本の表現方法があって、見る側の好みも違うのだということを海外の表現に触れて感じました。
➖12013年は中国以外に、韓国や台湾にも行きましたね。
中国での僕の知名度はまだまだなのですが、韓国や台湾へ行くとファンの人たちの熱烈な歓迎ぶりに驚いてしまいます。先日台北へ行ったときも、空港でファンの方々が迎えてくれて、韓国ではファンイベントをしてほしいとも言われました。なんというか、日本のファンとは明らかに感動の種類が違うんです。外国人で出会うチャンスが少ないから、表現の仕方が変わるのかな。海外で取材を受けると、俳優としての僕を知りたい熱意を前面に出してきてくれて、嬉しく思うことがあります。
ときどき自分でも考えたことのないような鋭い質問をぶつけられるので、俳優としての自分の成長を客観的にとらえる意味でもいい経験になります。うまく答えられず、もどかしい思いをすることもあるんですけど。
➖今後さらに海外で活躍していくことに、希望は持てましたか?
言葉や演技のアプローチが違っても、エンターテインメントに国境はないと常々思っていたのですが、それを確信できるようになりました。だからこそ海外にもっと出ていきたいし、国境や人種を超えていろんな人に自分の演技を見てもらいたい。そしてそう思うからこそ、自分のなかにある日本人的な部分を大事にしたいんです。
どんな役を演じようと「日本の俳優・三浦春馬」であることは、変えようのない事実ですから。
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春馬くん、、
今日もありがとう。