お付き合いして下さる方は、投稿に飽きたかもだけど、ひたすら楽しんいる新参者。
今、印象に残る会話に、タスキを繋ぐシーンも残しておきたくて繋ぐシーンを何度も繰り返しみている。
今回、この場面を感動して泣きながら見ている時に、古厩監督の"ドS"に本当に心から腑に落ちた私。
古厩監督が"部員の汗に勝るものはない"とか、春馬くんが"走りに嘘はない"と言っていたとさんざん分かった風に記してきたけど、、、古厩監督、本当に走らせすぎなんじゃないなんて思ったりもして、、
"我武者羅に走ってタスキを繋ぐ"ここで感動を、鑑賞者(お客さん)に届けたいとするなら、、もし私が監督だったとしても"走る"を出来るだけウソでやりたくないなぁ、、と今回、はっきりとそう思った。
フィクションなわけだし、役者さんが演じるわけなんだから、必死で走った体で表現して、、とかでもできるんだと思うけど、、、。
この"走る"って言う部分だけは、なんかごまかした感じでやりたくないっていうか、、
走った体での感動にお金を払ってもらうって言う感じ、、なんかちょっと嫌だなぁ、、って。
古厩監督、走ってくれなかったら撮るものがなかったとも言っていたし、走ってくれたならそこだけをひたすら撮ればいい、奇をてらわずに、、とも言っていた意味が今回ちゃんとわかった気がする。
古厩監督の今回の仕事はひたすら"ドS"になることだったんじゃないかな、と。
製作日誌にも"監督走らせすぎ"なんて書かれちゃってるくらいだからこの"ドS道"を貫き通すということをブレずにやる、、は、こちらが考えるより大変な事だったのかもしれない。
まりあの笑顔を"な~んか、嘘くさいと思った"って言う慶太じゃないけど、、
この映画で、"な~んか嘘くさい走り"なーんて思われたら、この映画作る意味ないなと思う。
わかっていたつもりなんだけど、、
いや、いや、、、
私は、今回繋ぐ場面を食い入る様に観て泣いて、、監督の"ドS道"と春馬くんの"走りに嘘はない"が、本当に心から腑に落ちた。
皆さんはもうとうにそう思っていましたよ、、ということかもしれませんが。。