春馬くんと「ふれる」をはなそう、、、
週末に落ち着いてゆっくり書ければな、、
と思っています。
いくつかブレイク投稿をさせて頂き
ますのでもしよかったらで、、
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
暫く前にアメブロを始めた頃からお付き合い
下さっている方が
"さよなら"は世界で一番美しい別れの言葉、、
というとても素敵な投稿をされていて、、
これは予科練平和記念館に行かれてのお話から
関連するものですけど、、
私も"さよなら"について
投稿したくなったのですが
その前にひとつ、、これを、
さよならつながりで、、。
自宅の本棚で、
大沢在昌氏の古い本をガサガサと
探していたところ
森瑤子さんの「終わりの美学」を発見!
森瑤子さん、安井かずみさん
もう大好きで、お二人の本を
20代後半から30代半ば位まで
めちゃくちゃ読んでいて
ある意味バイブルの様になっていました(笑)
久しぶりにパラパラ~と読んでみたけど、
森瑤子、やっぱり良い!
スカッとする~(笑)
森先生、ひとつお借りします。
お許しください。🙏
ある別れ 森瑤子著
自他共に親友と認めあっている男友だちから電話がかかってきた。
「久しぶり」と彼がいかにも楽しそうに言った。
「何を言ってるのよ。先週飲んだばかりじゃないの。下手なカラオケ聴かされて」不運なことに花の木曜日で1タクシーが全然みつからない。
寒風吹きすさぶ路上で、いつ通りかかるともしれない空車を待っていると、冷たさが足元から忍び寄る。
「少し時間をつぶそうや」と彼が言い、私たちはバーのハシゴのハシゴのそのまたハシゴ。
ようやくタクシーが拾えたのは午前一時半過ぎ。こんな時間に帰れば亭主殿の爆弾が落ちるのにきまっている。「どうしたのさ、元気ないね」と悪友は言うけれど、家庭の事情などいちいち明かさないのが友情のルール。
「飲みすぎ。それにあなたの下手な唄のせい」
さて、寝静まった我が家。ぬき足さし足しのび足。どうか敵様が目を覚ましませんように。
と祈ったのだが・・。
敵様はパッチリとお目覚めで、全身怒りで硬直している。あとはおきまりのフルコース。
ドンドンパチパチー戦を交えてベッドにぶったおれる頃には、窓の外が暁の灰白さに染まっていた。しかし友だちにはそのような内紛については曖気にも出さず、ましてや、あの夜私が必死に死守したのは、彼との友情なのだった、などということもチラとももらしてはならないのだ。
「あなたのせいで亭主と大喧嘩したのよ」などといえば相手は責任を感じる。「うちの亭主、どうやらあなたと私の仲を疑っているみたいなの」こんなことも言ってはならない。友情に微妙にヒビが入るのにきまっている。こういう場合男友だちというのは、次の二つに一つの行動に出る。
ひとつは自分のせいでこの女が絶体絶命の状態に追いつめられているのだ、亭主から責めさいなまれているのだと思いつめ、正義感から責任を取ろうとする。つまり「妻と別れてきみと一緒になるよ」と言いだすタイプだ。
今ひとつは、逃避するタイプ。「こいつはなんだかヤバイことになりそうだぞ」と警戒して、それを潮に急に疎遠になってしまったりする。
どっちに転んでも、友人を一人失うことには変りはない。だから一生ものの男友だちには、めったなことでプライベートライフを口外すべきではないのだ。たとえ彼自身のことが夫婦喧嘩の原因であろうともだ。いや、彼のことが喧嘩の原因であればなおのことである。
話を一番前の電話に戻そう。
「ちょっと話したいことがあるんだけどね」と彼。「話じゃなんだから、今夜達おうか」
「電話でもいいわよ」と、私は慌てて言った。
今夜はまたしても『花木』、魔の木曜日である。友だちとちょっと飲んでいる間にタクシーが拾えなくなる。そうなれば夫婦喧嘩のフルコース。
「実は女房のことなんだ」と、彼は急に慎重になる。「どうかしたの、奥さん?」
「どうやら僕ときみの仲を疑っているらしい」
「疑うったって…・・・・・。私たちただの友だちじゃないの。他に何人もいるあなたの飲み友だちの女の一人にすぎないのよ」「そう説明したよ、僕も」「なら何が問題なの?」
「否定するのはますます怪しい、というんだ」
「なるほど」それはわからないでもない。我が亭主殿も似たり寄ったりだから。
「それに女房が言うには、友だちってのが一番悪いそうだ。愛人なら適当な時期にお互い愛想がつきて別れる。友だちってのは下手をすると一生続く。大体、異性の友だちに対しては、男は大甘に優しくなる。妻にもめったに見せないような柔らかいまなざしで、他の女なんて見つめて欲しくない。とこう言うんだな」
私は黙った。女として彼の妻の気持は痛いほどわかるからだ。私の亭主殿の不満も言ってみれば同じことなのである。しかし手前の家庭の事情など死んでも口にするものか。
「わかった。で、あなたはどうしたいの?」
と私は、やけに優しい声で訊いてやった。
「きみとの友情はかけがえもないが、妻との伸が壊れては元も子もない」「その気持わかるわ」
と口では言ったが、憤懣やるかたない私。時には、何よりも大事なのが友情なのだ。女房の一人も説得できないなんて。
ま、その程度で切れる友情なら、たいしたことはなかったのかもしれない。
というわけで、十五、六年になんなんとする友人を、最近私は一人失った。
奥さんの気持はよくわかる。私の亭主殿の不満もわかる。けれども異性の友だちと多くて二月に一回、年にして五、六回、お酒を飲んで、お喋りすることはそんなに罪なことなのであろうか。
なんだかひどくしんどい時、妻にも言えない、恋人にも喋りたくないことを、女友だちとなら話しあえる。ちょっとぬるめの温泉にゆっくりとつかったような気分になれる。それで亭主殿が眉間の皺をとって戻ってくれば、口論がひとつ避けられようというものである。私にとっての男友だちというのも、そういう存在である。
結婚している男なり女が、異性の友だちを持って良いか悪いかを、私は問うているのではない。そういう問題ではなく、結婚そのもの、あるいは愛について考えてみたいのだ。
愛とは決して人を縛るものではないはずだ。自分の愛する人が、常にハッピーでいることが自分にとっても一番うれしいこと。それが愛するということではないだろうか。
でもたいていの場合、相手の心のことなど二の次になっている。愛する相手がハッピーかどうかより、自分がハッピーかどうかがまず先になる。
私が嫌なのだから、あなたもしないで、という発想だ。相手の立場ではなく、自分の都合だけで考えているわけだ。
これは何も男友だち、女友だちだけの次元のことではない。私が嫌なんだからしないでちょうだいというのは、愛の押し売りである。もしかしたら愛とは全然関係がないのかもしれない。
あなたが楽しい気持、温かい気持、良い気持でいてくれることが、私にとっても一番いいことなのよ、と言えたら、それが本当の愛なのではないだろうか。それにしてもあいつ、家庭の事情など恥ずかしげもなく口にして、と私は未だにおさまりがつかない。友情のルール違反である。
どんなタイプの人が好きかは
人それぞれだとは思いますので、
この話しに特に惹かれない方も
もちろんいらっしゃると思います。
私は、、
この中での
相手に何を話して何を話さないのか、
話して良いタイミングなのか
話すべきタイミングではないのか、
森さんのこの感じが凄く好きで、
読みながら、1人でそうそうそう!
と盛り上がっています。
秘密主義と言うワケでもないし、
いざと言う時は家族の話も出来る
関係であった方が良いとは思うけど、
しない方が良い時もたしかに多々ある。
余計な事を言わない、、
これは出来そうで本当にできない、、
そのあたり、“三浦春馬”はピカイチの
美学の持ち主ですね。
それと、
相手が楽しそうにしているなら
それで良いじゃない、、
これもね本当にそう思うの。
いいのだけど、
お互いのテリトリーを
荒らさない範囲でお願いします、
って事にはなるのかな。
例えば、
自分は好きだけど
相手の好きではない事は
無理に誘わないとか、
1時2時の午前様は全然良いけど、
帰ってくるのかこないのかわからん
とかをばんたびはやめてね、、とか。
森瑤子さん、、
若い時も好きだったけど、
今あらためて読んでみてもやっぱり好き。
ハッキリしていて(褒め言葉でなく)
変わり者、、そんなふうに言われることも
あるみたいだけど、
残念ながら、
森さんの様にカッコ良くは
全くなれてないけど、
ハッキリしていて変わり者、
ここは似ているかもしれない。笑